ユニバーサルエンターテインメントが1998年に「アルゼ」という社名で自社の株式を一般に公開した当初から、同社の有価証券報告書の「大株主」欄には、たしかに『岡田知裕』という名前がありました。ところが、彼の父親であり、またユニバーサルエンターテイメントの創業者でもある岡田和生氏は、あれから20年以上経ったいまごろになってこんな異論を唱えています。――「自分が創り上げてきた会社の株式を、子供たちに分け与えたことになっているが、これは実態と異なる」。はた目に見れば、何をいまさら、といった感じですが、当の岡田和生氏が本気であることは間違いありません。何しろ氏は、「岡田知裕」の名義になっているぶんの株式が実際には自分のものであると主張し、実の息子に対して訴訟まで起こしているのですから。ただし、この訴訟が、岡田和生氏にとって都合のよい結末になることはまずないでしょう。なぜなら、家族間の株式をめぐる経緯についてはずいぶん昔のことであるものの、知裕氏には、父親のデタラメを打ち負かすだけの“切り札”があったからです。
「子供名義の株も私のもの」とする岡田和生氏の狙いは
これまで有価証券報告書に記載してきた事実をなかったことにして、岡田知裕名義の株式も自分のものだと主張する岡田和生氏の狙いは何か? まずこの点から解説しておくと、これは、氏がユニバーサルエンターテイメントグループのトップに返り咲くための一計です。
2022年現在、ユニバーサルエンターテイメントの筆頭株主にして同社の株式およそ70%をにぎるオカダホールディングスは、もともと岡田和生氏や息子の知裕氏ら親族それぞれが持っていたユニバーサルエンターテイメントの株式を集約してできた会社でした(※現在は親族それぞれがオカダホールディングスの株式を持っている)。
それゆえに、もし仮に時間をさかのぼって、「子供たちの名義になっていた株式は岡田和生のもの」と改めた場合、オカダホールディングスは「岡田和生氏個人の会社」と言って差し支えないものになります。そしてこうなれば、結果として岡田和生氏は、オカダホールディングスを通じてユニバーサルエンターテイメントの人事権を掌握できることになりますから、自分にとって都合の悪い人間は一掃する、自分自身を会社のトップに据えた体制に刷新する、といったことに着手できるようになるというわけです。
これまで当サイトが報じてきたような数々の不正だって、ユニバーサルエンターテイメントのトップに返り咲いたあかつきに、自分以外の誰かに責任転嫁する。こんなふうにすれば、岡田和生氏個人の責任はチャラにしつつコトをおさめられるでしょう。実際、岡田和生氏は、過去に似たようなことをやってきました。
岡田和生氏が部下に責任転嫁するパターンは、ユニバーサルエンターテイメントの社内で語り草になってきました。
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かつて岡田和生氏のそばで働いていた人は、周囲から「とにかくうまくいかないと、いきなり責任とらされて後ろから刺されるから。おまえ、気をつけたほうがいいよ」との忠告を受けていたと証言しています。
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もっとも、こういった岡田和生氏のもくろみがうまくいくかといえば、それはありえないと考えられます。というのも、氏の主張する「子供たちの名義になっていた株式は自分のものだ」とする話は、たわごとにすぎないものと言えるためです。根拠はふたつあります。
山積する矛盾
ひとつめの根拠については、これまで岡田和生氏が見せてきた言動にあります。おかしなことに岡田和生氏は、いまでこそ「子供たちの名義になっている株式は自分のもの」と主張していますが、当初はこんな主張を一切していなかったのです。
それどころか、次のタイムラインをよく見るとわかるように、はじめのころはオカダホールディングスのある香港で裁判手続きを進めて、このなかで息子の知裕氏ら親族の持つ(オカダホールディングスの)株式を、自分に売却するよう求めていました。これは、かつては岡田和生氏がいまと真逆の言動をとっていた――親族それぞれが持つ株式は各自の持ち株だと自ら認めていた――ことを意味しますから、明らかに矛盾した行動と言わざるをえません。
岡田和生氏が「子供名義の株式は私のもの」と主張し出すまでの足あと

本当に株式が自分のものだというのなら、はじめからそう主張すればよいのに、そうはしてこなかった。それはなぜかといえば、岡田和生氏の主張はそもそも、氏が思うように復権にこぎつけないなかで苦しまぎれに出してきた詭弁にすぎないから、と見るのが妥当なところでしょう。