渦中のユニバーサルエンターテインメント

ユニバーサルエンターテインメントのキーマン・岡田知裕氏が父親と戦うなかで明かした「知られざる事実」

名義株を主張する父・和生氏にとって、致命傷になると考えられるのは、知裕氏の陣営が出した「贈与契約書」と「有価証券売買約定書」、およびそれぞれに関連した取締役会議事録です。

これらの書証を見ると、「岡田知裕」の名義になった株式はもともと、親族からの贈与と、親族からの買い受けによって知裕氏自身のモノになっていたことがわかります。くだんの株式は、たしかな譲渡手続きがなされた結果として知裕氏個人の所有株になったのであって、やはり和生氏の主張するような名義株ではなかったのです。

裁判の記録や書証は第三者が外部に持ち出せないので、書証の実物を披露することはできませんが、参考までにこれら書証の模写をここに掲載します。




ユニバーサル販売の株式に関する書証

1988年の取締役会議事録

ユニバーサル販売株式会社昭和63年12月21日付け取締役会議事録1

  1. 議事録冒頭には、「昭和63年12月21日午前10時00分」に「当会社の本店」で取締役会を開催した旨と、この取締役の議長は「近藤久雄」取締役だったこと、そして議案は可決に至り、取締役会は同日午前10時30分に散会したことがつづられている。
  2. 議案の説明では、「株式の無償譲渡の承認を求める提案」があったことにふれたのち、この取締役会で「全員異議無く承認した」と結論づけている。
  3. 誰から誰に、株式を無償譲渡するか、次のような一覧にして掲載している。
  4. 岡田和生の所有株式 5,000株を岡田充子に
    岡田和生の所有株式 4,500株を岡田知裕に
    岡田和生の所有株式 4,500株を岡田裕実に
    岡田 縫の所有株式 3,000株を岡田充子に
    岡田 縫の所有株式 3,000株を岡田知裕に
    岡田 縫の所有株式 3,000株を岡田裕実に

岡田充子、岡田縫とは?


岡田充子氏は岡田和生氏の前妻であり、知裕氏の実母にあたる。1998年に死去した。岡田縫氏は岡田和生氏の実母で、知裕氏からすると祖母にあたる。

取締役会議事録の続き

ユニバーサル販売株式会社昭和63年12月21日付け取締役会議事録2

  1. ここには無償譲渡を実施したあとの株主名簿が掲載されており、株主それぞれの持株数は次のようになっている。
  2. 株主氏名 株数
    岡田和生 44,800
    岡田充子 8,000
    岡田知裕 8,000
    岡田裕実 8,000
    (株)瑞穂製作所 7,200
    横塚ヒロ子 4,000
    合計 80,000
  3. 取締役会議事録の終わりには、この取締役会に出席し、議案を可決承認した取締役4名全員の名前と押印がある。

贈与契約書

岡田和生と岡田知裕の贈与契約書

  1. 書き出しには、「贈与者 岡田和生は、下記の株式を受贈者 岡田知裕に昭和63年12月21日をもって贈与する」との文面がある。
  2. 続く文面では、岡田和生氏がユニバーサル販売株式会社の株式4500株を贈与する旨、それから「別紙株価鑑定書により、株価は零となるので無償による贈与とする」旨がつづられている。
  3. 贈与は公証人の立ち会いのもと執り行われたようで、ここには公証人の押印、そのすぐ左には縦書きで「昭和六拾参年登録第四〇八弐号」という登録番号が記されている。
  4. 公証印の右側には、贈与者および受贈者の名前と押印、それと日付の数字だけ手書きされた契約日の記載がある。
  • 贈与契約書については、同様に祖母から知裕氏に3000株を贈与したぶんなども確認できている。




ユニバーサルの株式に関する書証

1990年の取締役会議事録

株式会社ユニバーサル平成2年12月10日付け取締役会議事録1

  1. 書面の書き出しでは、「平成2年12月10日午前9時30分」に「当会社本店会議室」で取締役会を開催した旨と、議案が可決に至ったこと、取締役会は同日午前10時ちょうどに散会したことがつづられている。
  2. 議案の説明では、当社の株主「岡田和生・岡田縫・岡田充子・岡田友生」が株式の譲渡を承認するよう求めていること、そしてその内容について取締役会で協議した結果、全員一致でもって株式の譲渡を承諾したと結論づけている。
  3. 譲渡の内容として、「岡田和生の所有株23,600株、岡田縫の所有株6,500株、岡田充子の所有株6,200株、岡田友生の所有株1,400株」の合計37,700株を、岡田知裕に譲渡すると記している。

岡田友生とは?


6人兄弟だった岡田和生氏の、双子の弟。1976年に株式会社ユニバーサルに入社し、一時は同社や米国支社の社長を務めた。2003年にラスベガスで死去。現地の報道によれば、2003年2月28日に猛毒リシンを自らに注入して自殺した、とされている。

ゲームマシン1983年8月15日号

画像はゲームマシン1983年8月15日号より

取締役会議事録の続き

株式会社ユニバーサル平成2年12月10日付け取締役会議事録2

  1. 取締役会議事録の終わりには、この取締役会に出席し、株式譲渡を承認した取締役3名の名前と押印がある。

有価証券売買約定書

岡田和生と岡田知裕の有価証券売買約定書

  1. 書面の上部には、当事者間でユニバーサルの株式をいくらで、何株売買したか、といった情報が記されている。
  2. 書面の下部には、株式の譲渡人として岡田和生氏の名前、そしてそれを買い受けた譲受人として岡田知裕氏の名前があり、それぞれには押印もある。
  3. 知裕氏の押印がふたつあるのは、おそらく1度押印をミスしたから。
  • 有価証券売買約定書については、別途母や祖母などから知裕氏に株式を譲渡したぶん合計3通も確認できている。




掲載した資料をご覧いただいたのならわかるように、知裕氏の株式は、1988年12月に父と祖母からユニバーサル販売の株式7500株を贈与されたこと、そして続く1990年12月に父、母、祖母、叔父の4人からユニバーサルの株式合計37700株を買いつけることで、増えていったのでした。そしてこののち、知裕氏が大株主になったユニバーサル販売とユニバーサルの両社は合併し、開発部門の統合や株式分割などを実施したあと、「アルゼ株式会社」――のちのユニバーサルエンターテインメント――として株式公開を果たす、というわけです。

父と息子 明暗を分けたものは

次のページへ >

事実にもとづく、事実にこだわる

当サイト「ユニバーサルエンターテインメントの経営騒動に潜む闇」が大切にしているのは、

  • 事実にもとづく、事実にこだわる
  • しっかりとした裏付けをとって、真相に迫る

という信念です。
当サイトでは、こうした信念を貫くため、裁判記録をはじめとした国内外のありとあらゆる情報にアクセスし、さまざまな物証に目を通し、徹底して調査することに注力しています。「誰々がこう話した」「関係者はこう言っている」、そんな伝聞を中心にすえた記事とは一線を画す、

ホンモノの記事


をご覧ください。

-渦中のユニバーサルエンターテインメント
-,

Ads Blocker Image Powered by Code Help Pro

広告ブロックを確認しました!

ブラウザ拡張機能を使用して、広告をブロックしていることが確認できました。

ブラウザの広告ブロッカーを無効にするか、当サイトのドメインをホワイトリストに追加したのち、「更新」をクリックしてください。

あなたが広告をブロックする権利があるように、当サイトも広告をブロックしている人にコンテンツを提供しない権利と自由があります。

Powered By
100% Free SEO Tools - Tool Kits PRO